- 2022-02-04 :
- 読み物(小学校中学年)
お知らせ
あたらしい翻訳読み物を刊行しました。

『ラビットホッピング!
うさぎがぼくのパートナー!?』
マーリン・エリクソン作
きただいえりこ訳
森山標子絵
理論社
本のタイトルにもなっている
「ラビットホッピング」とは、
うさぎと人がチームを組んで、
障害物をジャンプし、タイムを競う
スウェーデン発の競技です。
主人公のアルヴィンは、
ちょっと気弱でやさしい、
動物がすきな男の子。
病気の妹や、
妹の世話にかかりきりの両親を気づかい、
いろんなことをがまんして、すごしています。
そんなアルヴィンは、
ある日、ひょんなことから
「ラビットホッピング」と出会い、
すっかり夢中になります。
大会に出場したいという思いを
つのらせるアルヴィンでしたが……
自分の気持ちに正直になること、
そしてまた、
相手の気持ちを受け止めることの大切さにも
気づかせてくれる、
心あたたまる物語です。
(本の表紙の写真は、出版社の許可を得て掲載しています。)

『ラビットホッピング!
うさぎがぼくのパートナー!?』
マーリン・エリクソン作
きただいえりこ訳
森山標子絵
理論社
本のタイトルにもなっている
「ラビットホッピング」とは、
うさぎと人がチームを組んで、
障害物をジャンプし、タイムを競う
スウェーデン発の競技です。
主人公のアルヴィンは、
ちょっと気弱でやさしい、
動物がすきな男の子。
病気の妹や、
妹の世話にかかりきりの両親を気づかい、
いろんなことをがまんして、すごしています。
そんなアルヴィンは、
ある日、ひょんなことから
「ラビットホッピング」と出会い、
すっかり夢中になります。
大会に出場したいという思いを
つのらせるアルヴィンでしたが……
自分の気持ちに正直になること、
そしてまた、
相手の気持ちを受け止めることの大切さにも
気づかせてくれる、
心あたたまる物語です。
(本の表紙の写真は、出版社の許可を得て掲載しています。)
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- 2017-10-09 :
- 読み物(小学校中学年)
お知らせ
- 2016-03-28 :
- 読み物(小学校中学年)
増える差別の芽
第二次世界大戦時、
中立国で戦争の被害を受けなかった
スウェーデンは、
迫害された多くの人々に
支援の手をさしのべました。
戦争が終わった後も、
ドイツやフィンランドなど、
戦争で荒廃した国の子どもたちを
一時的に引き取って、
住む場所や食べ物を提供したり、
教育を受けさたりといった
活動もしていました。
昨年秋までは、
すすんで難民を受け入れ、
積極的に援助してきた
スウェーデン。
しかし、
そんなスウェーデンにも、
人種差別の芽は現れています。
今回ご紹介するおはなしは
"Min brorsa heter Noa"
(「お兄ちゃんの名前はノーア」
アンナ-クラーラ・ティードホルム 作
ヨアンナ・ヘルグレーン 絵
アルファベータ社)

人種主義に傾倒していく若者を
描いた作品です。
幼い女の子のサーガは、
お母さんと
やさしいお兄さんのノーアと
いっしょに暮らしていました。
ところが、ノーアは
しだいに部屋に閉じこもるように
なってしまいます。
「ぼくはもう
ノーアなんかじゃない」
兄は人が変わったようになり、
サーガが
黒髪で肌の茶色い友だちと遊んでいると、
「そんなやつとはつき合うな」と
言い出しました。

ナイフを隠し持ったり、
ヒトラーのポスターをはったり、
建物のかべに
ナチスのかぎ十字の落書きをしたり、
兄の行動は、
どんどんエスカレートしていきます。

とうとう、
仲間と暴動を起こした兄は、
警察に連行されてしまいました。
おはなしの中だけでなく、
実際の社会でも、
こうしたネオナチの動きは
増えてきています。
昨年10月には、
ナイフを持った男が小学校に乱入し、
先生や生徒数人が殺害される
事件が起きました。
男は失業中で、
仕事が見つからないのは
難民たちのせいだとして、
移民や難民の子どもの多く通っている
学校をおそったのだそうです。
今年に入ってからも、
難民をねらった事件は
すでにいくつも起きています。
身寄りのない難民の子どもたちの
世話をしていた女性が
おそわれるという
ひさんな事件もありました。
かつては
ナチスに迫害された人たちを受け入れ、
多くの難民たちに
救いの手をさしのべてきた
スウェーデンで、
今、その寛大な受け入れに対する反動から、
ネオナチの動きが
活発になってきているというのは、
何とも皮肉なことです。
"Min brorsa heter Noa"の
おはなしの最後では、
サーガとお母さんが、
少年院にいる兄を
たずねてやってきます。

「お兄ちゃんはノーアだよね?」
とたずねるサーガに、
「そうだよ」
と答えるノーア。
以前のやさしいお兄さんに
もどったことを予感させるような、
再生の希望を残して
おはなしは終わります。
次回の更新は、4月下旬の予定です。
(本の写真はイラストレーターの許可を得て掲載しています。)
中立国で戦争の被害を受けなかった
スウェーデンは、
迫害された多くの人々に
支援の手をさしのべました。
戦争が終わった後も、
ドイツやフィンランドなど、
戦争で荒廃した国の子どもたちを
一時的に引き取って、
住む場所や食べ物を提供したり、
教育を受けさたりといった
活動もしていました。
昨年秋までは、
すすんで難民を受け入れ、
積極的に援助してきた
スウェーデン。
しかし、
そんなスウェーデンにも、
人種差別の芽は現れています。
今回ご紹介するおはなしは
"Min brorsa heter Noa"
(「お兄ちゃんの名前はノーア」
アンナ-クラーラ・ティードホルム 作
ヨアンナ・ヘルグレーン 絵
アルファベータ社)

人種主義に傾倒していく若者を
描いた作品です。
幼い女の子のサーガは、
お母さんと
やさしいお兄さんのノーアと
いっしょに暮らしていました。
ところが、ノーアは
しだいに部屋に閉じこもるように
なってしまいます。
「ぼくはもう
ノーアなんかじゃない」
兄は人が変わったようになり、
サーガが
黒髪で肌の茶色い友だちと遊んでいると、
「そんなやつとはつき合うな」と
言い出しました。

ナイフを隠し持ったり、
ヒトラーのポスターをはったり、
建物のかべに
ナチスのかぎ十字の落書きをしたり、
兄の行動は、
どんどんエスカレートしていきます。

とうとう、
仲間と暴動を起こした兄は、
警察に連行されてしまいました。
おはなしの中だけでなく、
実際の社会でも、
こうしたネオナチの動きは
増えてきています。
昨年10月には、
ナイフを持った男が小学校に乱入し、
先生や生徒数人が殺害される
事件が起きました。
男は失業中で、
仕事が見つからないのは
難民たちのせいだとして、
移民や難民の子どもの多く通っている
学校をおそったのだそうです。
今年に入ってからも、
難民をねらった事件は
すでにいくつも起きています。
身寄りのない難民の子どもたちの
世話をしていた女性が
おそわれるという
ひさんな事件もありました。
かつては
ナチスに迫害された人たちを受け入れ、
多くの難民たちに
救いの手をさしのべてきた
スウェーデンで、
今、その寛大な受け入れに対する反動から、
ネオナチの動きが
活発になってきているというのは、
何とも皮肉なことです。
"Min brorsa heter Noa"の
おはなしの最後では、
サーガとお母さんが、
少年院にいる兄を
たずねてやってきます。

「お兄ちゃんはノーアだよね?」
とたずねるサーガに、
「そうだよ」
と答えるノーア。
以前のやさしいお兄さんに
もどったことを予感させるような、
再生の希望を残して
おはなしは終わります。
次回の更新は、4月下旬の予定です。
(本の写真はイラストレーターの許可を得て掲載しています。)
- 2015-10-27 :
- 読み物(小学校中学年)
移民の姿を伝える(2)
前回ご紹介した
『水着』のおはなしは、
作者の娘さんの同級生が
モデルになっているそうです。
娘さんはスウェーデン人ですが、
クラスには移民の生徒がひじょうに多く、
文化の違いに直面することも
しばしばだそうです。
『水着』のおはなしでは、
慣習の違いから、
学校の水泳の授業に参加できない
女の子たちのために、
女の子だけの特別な水泳教室が
開かれていました。
こうした特別な水泳教室は、
スウェーデンでは
よく行われています。
作者のオーサさんは、
いろいろな学校をおとずれて
講演をする機会があると、
子どもたちにこんなことを
問いかけるそうです。
「もし、あなたたちが先生で、
文化の違いから
水泳の授業を受けられない
生徒がいたらどうする?」
「その子が泳げるようになるためには、
どうしたらいいと思う?」
移民の問題は、
スウェーデンの子どもたちにとっても
実に身近で、
考えていかなければならない
重要な問題なのです。
さて、今日は
そんな移民の問題に
直面することになった
スウェーデンの女の子のおはなしを
ご紹介します。
"En plats är tom"
(「からっぽの席」
Annika Thor 作・Emma Virke 絵
Sveriges Radio 制作)
この作品は、
子ども向けのラジオドラマとして
2014年にスウェーデンで
放送されたものです。

ある日、
スウェーデン人の少女リーブのクラスに
一人の少女が転校してきました。
名前は、アイシャ。
村のはずれの難民宿舎に
お母さんと弟たちと
一緒に住んでいました。
難民宿舎というのは、
さまざまな国や地域から
逃れてきた人たちが、
スウェーデンにとどまれるかどうか、
移民局からの決定を待っている間、
一時的に暮らしている宿舎です。
アイシャ一家も、
ここで暮らしながら
スウェーデンでの居住許可が下りるのを
待っていました。
学校で、
アイシャはリーブのとなりの席になり、
やがて二人は親友になります。
ある冬の日。
リーブとアイシャは、
アイシャの弟が
いじめられているのを目撃します。
いじめっ子たちは、
アイシャの弟に
「国へ帰れ」といったり、
「おまえの黒い顔をきれいにしてやる」
といいながら、
雪をおしつけたりしていました。

怒ったアイシャが
いじめっ子たちに雪玉を投げつけた
ちょうどそのとき、
運悪く、先生に見つかってしまいます。
先生は、理由も聞かずに
アイシャをしかり、
「スウェーデンにとどまりたいなら、
この国でのきまりに合わせるように」
というのでした。
その後、アイシャ一家は、
スウェーデンでの居住許可が下りず、
国に送り返されることになってしまいました。
いじめっ子たちに雪玉を投げつけたせいだ、
と自分を責めるアイシャ。
そんなことはない、
とリーブとお母さんはなぐさめます。

アイシャ一家が警察に連れられて
空港へと向かっていくのを、
リーブはやるせない気持ちで
見送るのでした。
この物語はフィクションですが、
これまで一緒に遊んでいた友だちが
ある日突然、強制送還されて、
いなくなってしまうということは、
実際、ひんぱんに起こっています。
私がスウェーデンで通っていた学校でも、
イラクから来ていた女の子が
強制送還されることになり、
抗議の署名を集めたことがありました。
やっとのことで戦火を逃れてきても、
送り返されてしまえば、
難民たちは再び、
命の危険にさらされることになります。
しかし、難民の受け入れと
その後、彼らが国にとどまれるかどうかは、
また別問題というのが
現状なのです。
次回は、
難民たち自身が
自らの体験を語った物語を
ご紹介します。
次回の更新は、
11月下旬の予定です。
(物語中のさし絵は、Sveriges Radioホームページより
転載したものです。ラジオ局およびイラストレーターの許可を得て掲載しています。)
『水着』のおはなしは、
作者の娘さんの同級生が
モデルになっているそうです。
娘さんはスウェーデン人ですが、
クラスには移民の生徒がひじょうに多く、
文化の違いに直面することも
しばしばだそうです。
『水着』のおはなしでは、
慣習の違いから、
学校の水泳の授業に参加できない
女の子たちのために、
女の子だけの特別な水泳教室が
開かれていました。
こうした特別な水泳教室は、
スウェーデンでは
よく行われています。
作者のオーサさんは、
いろいろな学校をおとずれて
講演をする機会があると、
子どもたちにこんなことを
問いかけるそうです。
「もし、あなたたちが先生で、
文化の違いから
水泳の授業を受けられない
生徒がいたらどうする?」
「その子が泳げるようになるためには、
どうしたらいいと思う?」
移民の問題は、
スウェーデンの子どもたちにとっても
実に身近で、
考えていかなければならない
重要な問題なのです。
さて、今日は
そんな移民の問題に
直面することになった
スウェーデンの女の子のおはなしを
ご紹介します。
"En plats är tom"
(「からっぽの席」
Annika Thor 作・Emma Virke 絵
Sveriges Radio 制作)
この作品は、
子ども向けのラジオドラマとして
2014年にスウェーデンで
放送されたものです。

ある日、
スウェーデン人の少女リーブのクラスに
一人の少女が転校してきました。
名前は、アイシャ。
村のはずれの難民宿舎に
お母さんと弟たちと
一緒に住んでいました。
難民宿舎というのは、
さまざまな国や地域から
逃れてきた人たちが、
スウェーデンにとどまれるかどうか、
移民局からの決定を待っている間、
一時的に暮らしている宿舎です。
アイシャ一家も、
ここで暮らしながら
スウェーデンでの居住許可が下りるのを
待っていました。
学校で、
アイシャはリーブのとなりの席になり、
やがて二人は親友になります。
ある冬の日。
リーブとアイシャは、
アイシャの弟が
いじめられているのを目撃します。
いじめっ子たちは、
アイシャの弟に
「国へ帰れ」といったり、
「おまえの黒い顔をきれいにしてやる」
といいながら、
雪をおしつけたりしていました。

怒ったアイシャが
いじめっ子たちに雪玉を投げつけた
ちょうどそのとき、
運悪く、先生に見つかってしまいます。
先生は、理由も聞かずに
アイシャをしかり、
「スウェーデンにとどまりたいなら、
この国でのきまりに合わせるように」
というのでした。
その後、アイシャ一家は、
スウェーデンでの居住許可が下りず、
国に送り返されることになってしまいました。
いじめっ子たちに雪玉を投げつけたせいだ、
と自分を責めるアイシャ。
そんなことはない、
とリーブとお母さんはなぐさめます。

アイシャ一家が警察に連れられて
空港へと向かっていくのを、
リーブはやるせない気持ちで
見送るのでした。
この物語はフィクションですが、
これまで一緒に遊んでいた友だちが
ある日突然、強制送還されて、
いなくなってしまうということは、
実際、ひんぱんに起こっています。
私がスウェーデンで通っていた学校でも、
イラクから来ていた女の子が
強制送還されることになり、
抗議の署名を集めたことがありました。
やっとのことで戦火を逃れてきても、
送り返されてしまえば、
難民たちは再び、
命の危険にさらされることになります。
しかし、難民の受け入れと
その後、彼らが国にとどまれるかどうかは、
また別問題というのが
現状なのです。
次回は、
難民たち自身が
自らの体験を語った物語を
ご紹介します。
次回の更新は、
11月下旬の予定です。
(物語中のさし絵は、Sveriges Radioホームページより
転載したものです。ラジオ局およびイラストレーターの許可を得て掲載しています。)
- 2015-09-30 :
- 読み物(小学校中学年)
移民の姿を伝える(1)
今回より
数回にわたって、
移民の人たちがおはなしの中で
どのように描かれているのか、
探ってみたいと思います。
まず、ご紹介するのは、
“Baddräkten”
(「水着」
Åsa Storck 作・Gitte Spee 絵
初版 Natur och Kultur社/
再販 En bok för alla社)
小学生の女の子ファドマは、
家族とともに、ソマリアから
スウェーデンに移り住んできました。
学校のプールの授業は、
ファドマはいつでも見学です。

両親に、
男の子といっしょに
泳いではいけないと
いわれているからです。
ソマリアでは、
男の子と女の子が
いっしょに泳いでは
いけないきまりなのです。
その日のプールの授業も見学。
いたたまれなくなったファドマが
一人更衣室に行くと、
床に水着が落ちていました。
ファドマは、こっそり
水着を着てしまいます。

かがみにうつった水着姿の自分に
見とれていると、
先生に見つかってしまいました。
あわてるファドマに
先生はほほえんで、
一枚の紙を手わたします。
それは、
女の子だけの水泳教室の案内でした。
家に帰ったファドマが
おそるおそる相談すると……
女の子だけならいいだろうと
お父さんのお許しが出て、
お母さんといっしょに
水泳教室に
通えることになりました。

はじめてプールに入ったファドマ。
とてもうれしそうです。
水泳教室には、
友だちのソマリア人の女の子も
来ていました。
両親にないしょで
こっそり通っていたのです。
水泳教室からの帰り道、
お母さんはファドマに
いつか自転車に乗ってみたいという夢を
そっとうちあけます。
ファドマは心の中に
その夢を深くきざみこむのでした。
女性に対する抑圧が
依然として残っている現状が
伝わってきます。
一方、作品には、
お父さんのこんな言葉も
出てきます。
「スウェーデン人と
そっくり同じになるわけではないけれど、
できるだけ受け入れるようにしなさい」
自分たちの文化を重んじながらも、
新しい文化にとけ込もうとし、
文化の違いのはざまで
もがき苦しむ
移民たちのつらさも
同時に伝わってきます。
作者はスウェーデン人ですが、
そのことが
スウェーデンでも話題になりました。
ファドマと同じように
ソマリア人によって書かれていたら、
もう少し異なった面も描けたのでは、
という意見です。
ソマリア人の女の子だって、
きっと他の子たちと同じように、
日常の楽しみがあって、
そうした部分も
きちんと描かれなければ、
文化に対する
偏った見方しかできず、
誤解をまねきかねない、
というのです。
確かに一理ある意見だと思います。
私の通っていたスウェーデンの学校にも、
ソマリア出身の女の子がいて、
いつもショールをかぶっていましたが、
彼女は、ショールの色や柄を変えて、
おしゃれの一つとして楽しんでいました。
ソマリアの女性たちにとって、
ショールは
かぶらなくてはならない否定的なものだ、
と思い込んでいた私に、
新しい見方を教えてくれた出来事でした。
限られた情報しかないと、
限られた見方しかできず、
それがすべてだと思い込みがちです。
より多くの情報があれば、
いろいろな見方ができ、
理解ももっと深まるでしょう。
しかし一方で、
実際にファドマのような
状況にある女性たちが、
自らの現状を
声に出して述べようとするのは、
かなりのリスクと
勇気をともなうことでもあるに
ちがいありません。
その意味で、
あえてスウェーデン人の作家が
彼女たちの姿を描いて伝えることは
重要だと思います。
ただし、
現状の一面だけでなく、
さまざまな面も
正しく伝えていくことが
必要といえそうです。
次回は、
移民の子と友だちになった、
スウェーデン人の女の子のおはなしを
ご紹介します。
移民の人たちの姿は、
スウェーデンの人たちの目に
どんなふうに映っているのでしょう?
次回の更新は、10月下旬の予定です。
(絵本の写真は、出版社の許可を得て掲載しています。)
数回にわたって、
移民の人たちがおはなしの中で
どのように描かれているのか、
探ってみたいと思います。
まず、ご紹介するのは、
“Baddräkten”
(「水着」
Åsa Storck 作・Gitte Spee 絵
初版 Natur och Kultur社/
再販 En bok för alla社)
小学生の女の子ファドマは、
家族とともに、ソマリアから
スウェーデンに移り住んできました。
学校のプールの授業は、
ファドマはいつでも見学です。

両親に、
男の子といっしょに
泳いではいけないと
いわれているからです。
ソマリアでは、
男の子と女の子が
いっしょに泳いでは
いけないきまりなのです。
その日のプールの授業も見学。
いたたまれなくなったファドマが
一人更衣室に行くと、
床に水着が落ちていました。
ファドマは、こっそり
水着を着てしまいます。

かがみにうつった水着姿の自分に
見とれていると、
先生に見つかってしまいました。
あわてるファドマに
先生はほほえんで、
一枚の紙を手わたします。
それは、
女の子だけの水泳教室の案内でした。
家に帰ったファドマが
おそるおそる相談すると……
女の子だけならいいだろうと
お父さんのお許しが出て、
お母さんといっしょに
水泳教室に
通えることになりました。

はじめてプールに入ったファドマ。
とてもうれしそうです。
水泳教室には、
友だちのソマリア人の女の子も
来ていました。
両親にないしょで
こっそり通っていたのです。
水泳教室からの帰り道、
お母さんはファドマに
いつか自転車に乗ってみたいという夢を
そっとうちあけます。
ファドマは心の中に
その夢を深くきざみこむのでした。
女性に対する抑圧が
依然として残っている現状が
伝わってきます。
一方、作品には、
お父さんのこんな言葉も
出てきます。
「スウェーデン人と
そっくり同じになるわけではないけれど、
できるだけ受け入れるようにしなさい」
自分たちの文化を重んじながらも、
新しい文化にとけ込もうとし、
文化の違いのはざまで
もがき苦しむ
移民たちのつらさも
同時に伝わってきます。
作者はスウェーデン人ですが、
そのことが
スウェーデンでも話題になりました。
ファドマと同じように
ソマリア人によって書かれていたら、
もう少し異なった面も描けたのでは、
という意見です。
ソマリア人の女の子だって、
きっと他の子たちと同じように、
日常の楽しみがあって、
そうした部分も
きちんと描かれなければ、
文化に対する
偏った見方しかできず、
誤解をまねきかねない、
というのです。
確かに一理ある意見だと思います。
私の通っていたスウェーデンの学校にも、
ソマリア出身の女の子がいて、
いつもショールをかぶっていましたが、
彼女は、ショールの色や柄を変えて、
おしゃれの一つとして楽しんでいました。
ソマリアの女性たちにとって、
ショールは
かぶらなくてはならない否定的なものだ、
と思い込んでいた私に、
新しい見方を教えてくれた出来事でした。
限られた情報しかないと、
限られた見方しかできず、
それがすべてだと思い込みがちです。
より多くの情報があれば、
いろいろな見方ができ、
理解ももっと深まるでしょう。
しかし一方で、
実際にファドマのような
状況にある女性たちが、
自らの現状を
声に出して述べようとするのは、
かなりのリスクと
勇気をともなうことでもあるに
ちがいありません。
その意味で、
あえてスウェーデン人の作家が
彼女たちの姿を描いて伝えることは
重要だと思います。
ただし、
現状の一面だけでなく、
さまざまな面も
正しく伝えていくことが
必要といえそうです。
次回は、
移民の子と友だちになった、
スウェーデン人の女の子のおはなしを
ご紹介します。
移民の人たちの姿は、
スウェーデンの人たちの目に
どんなふうに映っているのでしょう?
次回の更新は、10月下旬の予定です。
(絵本の写真は、出版社の許可を得て掲載しています。)