- 2017-06-06 :
- 読み物(小学校高学年~)
潜入!言語カフェ
お待たせしました!
スウェーデンおはなし旅、復活です。
またよろしくお願いします。
4月から5月にかけて
スウェーデン各地の
図書館を訪問してきました。
今回は、その報告を交えつつ、
作品をご紹介したいと思います。

図書館で行われている、
さまざまな言語カフェの案内チラシ。
språkcafé(言語カフェ)や
stickcafé(編み物カフェ)などがあります。
図書館が人々の集いの場所の
ひとつとなっています。
こうしたカフェでは、
きまってお茶とクッキーが出され、
テーブルを囲んで
意見交換が行われます。
språkcafé(言語カフェ)には、
いろいろな種類があります。
スペイン語、ロシア語、アラビア語、
日本語カフェもありました。
みんなでわきあいあいと
おしゃべりしながら、
その国の言葉に慣れ親しみ、
話す機会を多く持ってもらう
というのがねらいです。
わたしは今回、
いくつかの図書館の
スウェーデン語の言語カフェに
潜入しました。
スウェーデン語のカフェは、
移民や難民の人たちに、
早くスウェーデン語を習得し、
社会に溶け込んでもらおうと、
会話の訓練の場を提供するものです。
図書館によってやり方はさまざまですが、
たいていは、ボランティアの人が
一つのテーブルに1人の割合で座り、
進行役をしてくれます。
あるカフェでは、
まだほとんど話せない初心者のグループと、
ある程度理解ができる中級のグループと、
2つにレベル分けをしていました。
レベル分けせず、
自由に好きな席に座り、
同じテーブルになった人たちと
話をするというカフェもありました。
しかし、そうすると、
まだあまり話せない人は
なかなか話の輪に入れず、
手持ち無沙汰にしている様子が
見られました。
レベル別に分かれている方が、
みんな積極的に発言している印象でした。
進行役の力量も重要です。
うまい人は、みんなが発言できるよう、
全員に話をふり向けていました。
はじめに、同じテーブルに座っている全員が、
一人ずつ簡単に自己紹介をし、
そのあと、話す話題を決めますが、
多くの図書館では、
カードを使って決めていました。
いろいろな質問が書かれたカードが、
一人ひとりに配られます。
たとえば、
「100万円あったらどうするか」
「子どものころの夢は何だったか」
「人生でもっとも影響を受けた人はだれか」
などと書かれており、
自分のカードに書かれた質問について、
順番に答えていきます。
話したい話題を参加者から募る場合も
ありました。
また、政治と宗教の話題は厳禁
というカフェもありました。
いくつか参加した中から、
特におもしろかったものを
ご紹介します。
イェーテボリの図書館のカフェでは、
わたしも含めて7人の参加者と、
ボランティアの方1人で行いました。
参加者の中には、
シリアから来た男性で、
5歳の息子を
シリアに残してきている
という方がいました。
息子さんと毎晩スカイプで、
サッカーの話をするのが
何よりの楽しみだそうです。
シリアでは医者をしていましたが、
スウェーデンでも医者として働きたいと、
現在試験勉強中とのことでした。
ソマリア出身の青年も二人いました。
現在は、高校に通って
スウェーデン語の習得に
はげんでいるそうです。
2015年9月30日の記事でご紹介した、
"Baddräkten"(「水着」)は、
家族とともにスウェーデンに
移り住んできた
ソマリア人の女の子が
文化のちがいに直面するという
おはなしでした。
主人公の女の子は、
学校のプールの授業に
参加したいのですが、
両親に許してもらえません。
「ソマリア人の女の子は
男の子と一緒に泳がない。
泳いではいけない。
そういうきまりだから」
おはなしの中には、
そんな一節が出てきます。
実際はどうなのか、
ソマリア人の青年たちに
きいてみたところ、
この一節とそっくり同じ答えが
返ってきたのには
おどろきました。
また、青年の一人には、
女のきょうだいがいるそうですが、
ソマリアでは、女性が家事をし、
男性は外で働くというのが当たり前で、
とくに疑問には思わないそうです。
これに対し、
スウェーデン人の進行役の方が、
「でも、今はスウェーデンに
住んでいるのだから、
あなただって、
自分で家事をしないわけに
いかないんじゃない?」
と質問したところ、
今は自分でしているとのことでした。
男性の自分にも家事はできるけれど、
ソマリアではやらない。
そういうきまりだからだそうです。
シリア出身の男性からは、
「医学的に見て、女性と男性とでは、
もともと得意なことがちがうのではないか」
という意見が出ました。
女性は一度にいろんなことをするのが得意で、
たとえば、電話で話しながら
料理を作ったりできるけれど、
男性の自分にはとてもできない。
そのかわり、
男性は一つのことに秀でている場合が
多いのではないか。
すると、
これまたスウェーデン人の
司会役の女性が猛反発。
また、別の図書館のカフェでは、
イラン出身の女性と、
ソマリアの隣国出身の女性と
いっしょのテーブルになったので、
同じくたずねてみると、
男性と一緒に泳いではいけないというのは、
やはり、そういうものだからで、
疑問には思わないそうです。
それが現地では当たり前で、
男性と一緒に泳ぐなんてありえない、
と笑っていました。
現地では当たり前のきまりで
規制があることも、
スウェーデンにきたら
規制がないのでできるのでは、
ときいてみたところ、
たとえば、ショールをつけないでいるとか、
水着を着て泳ぐとか、
自転車に乗るとか、
スウェーデンではやろうと思えば
できるかもしれないけれど、
肌を見せるのははずかしいから、
とてもできない、といっていました。
今回、言語カフェに参加して、
文化や慣習のちがいにより、
考え方もさまざまだというのが
とてもおもしろく、新鮮でした。
言語の習得はもちろんですが、
あたらしい出会いや
思いがけない発見が
たくさんあるというのも、
言語カフェの大きな魅力の
ひとつではないでしょうか。
最後に、
その魅力を存分に描いた、
こんな物語をご紹介します。
"Mitt rätta namn"
(「わたしのほんとうの名前」
Åsa Storck 作 Vilja社)

図書館の言語カフェで出会った、
シリというおばあさんとヤッレという少年。
二人の視点が交互に描かれていきます。
シリは、言語カフェの常連です。
第二次世界大戦中、
まだ子どもだったシリは、
一人ぼっちで
フィンランドからスウェーデンへと
戦火を逃れてきました。
それ以来、今までずっと
スウェーデンで暮らしています。
一方のヤッレは、
家族とはなれて、たった一人、
イラクからスウェーデンに
逃れてきたばかりの少年です。
支援員の人に連れられて、
この言語カフェにやってきました。
案内されたテーブルにすわっていたのが
シリでした。
とまどっているヤッレにおかまいなく、
支援員の人は、
シリにヤッレを紹介します。
でも、ヤッレという名前は、
実は本名ではなく、
支援員の人がよびやすいようにつけた
あだ名でした。
「ぼくのほんとうの名前は、
ヤーマルです」
まだスウェーデン語のできない少年は、
身ぶり手ぶりで
必死に伝えようとします。
その熱意に心を動かされたシリも、
これまで隠していた自分のほんとうの名前を
少年にうち明けます。
シルパというのが、
シリのほんとうの名前でした。
フィンランド人の名前ではまずいからと、
スウェーデン風の名前に
変えていたのです。
シルパとヤーマル。
共に何も持たずに逃れてきた
ふたりにとっては、
名前だけが、ただ一つ、
ずっと持ち合わせてきた
ものだったのです。
ふたりはしだいにうち解け、
心を通わせていく。
そんな物語です。
言語カフェは、
なくしかけていた
誇りや自信を取りもどす
きっかけとなる場とも
なりうるかもしれません。
次回の更新は、7月の予定です。
(本の表紙の写真は、作者の許可を得て掲載しています。)
スウェーデンおはなし旅、復活です。
またよろしくお願いします。
4月から5月にかけて
スウェーデン各地の
図書館を訪問してきました。
今回は、その報告を交えつつ、
作品をご紹介したいと思います。

図書館で行われている、
さまざまな言語カフェの案内チラシ。
språkcafé(言語カフェ)や
stickcafé(編み物カフェ)などがあります。
図書館が人々の集いの場所の
ひとつとなっています。
こうしたカフェでは、
きまってお茶とクッキーが出され、
テーブルを囲んで
意見交換が行われます。
språkcafé(言語カフェ)には、
いろいろな種類があります。
スペイン語、ロシア語、アラビア語、
日本語カフェもありました。
みんなでわきあいあいと
おしゃべりしながら、
その国の言葉に慣れ親しみ、
話す機会を多く持ってもらう
というのがねらいです。
わたしは今回、
いくつかの図書館の
スウェーデン語の言語カフェに
潜入しました。
スウェーデン語のカフェは、
移民や難民の人たちに、
早くスウェーデン語を習得し、
社会に溶け込んでもらおうと、
会話の訓練の場を提供するものです。
図書館によってやり方はさまざまですが、
たいていは、ボランティアの人が
一つのテーブルに1人の割合で座り、
進行役をしてくれます。
あるカフェでは、
まだほとんど話せない初心者のグループと、
ある程度理解ができる中級のグループと、
2つにレベル分けをしていました。
レベル分けせず、
自由に好きな席に座り、
同じテーブルになった人たちと
話をするというカフェもありました。
しかし、そうすると、
まだあまり話せない人は
なかなか話の輪に入れず、
手持ち無沙汰にしている様子が
見られました。
レベル別に分かれている方が、
みんな積極的に発言している印象でした。
進行役の力量も重要です。
うまい人は、みんなが発言できるよう、
全員に話をふり向けていました。
はじめに、同じテーブルに座っている全員が、
一人ずつ簡単に自己紹介をし、
そのあと、話す話題を決めますが、
多くの図書館では、
カードを使って決めていました。
いろいろな質問が書かれたカードが、
一人ひとりに配られます。
たとえば、
「100万円あったらどうするか」
「子どものころの夢は何だったか」
「人生でもっとも影響を受けた人はだれか」
などと書かれており、
自分のカードに書かれた質問について、
順番に答えていきます。
話したい話題を参加者から募る場合も
ありました。
また、政治と宗教の話題は厳禁
というカフェもありました。
いくつか参加した中から、
特におもしろかったものを
ご紹介します。
イェーテボリの図書館のカフェでは、
わたしも含めて7人の参加者と、
ボランティアの方1人で行いました。
参加者の中には、
シリアから来た男性で、
5歳の息子を
シリアに残してきている
という方がいました。
息子さんと毎晩スカイプで、
サッカーの話をするのが
何よりの楽しみだそうです。
シリアでは医者をしていましたが、
スウェーデンでも医者として働きたいと、
現在試験勉強中とのことでした。
ソマリア出身の青年も二人いました。
現在は、高校に通って
スウェーデン語の習得に
はげんでいるそうです。
2015年9月30日の記事でご紹介した、
"Baddräkten"(「水着」)は、
家族とともにスウェーデンに
移り住んできた
ソマリア人の女の子が
文化のちがいに直面するという
おはなしでした。
主人公の女の子は、
学校のプールの授業に
参加したいのですが、
両親に許してもらえません。
「ソマリア人の女の子は
男の子と一緒に泳がない。
泳いではいけない。
そういうきまりだから」
おはなしの中には、
そんな一節が出てきます。
実際はどうなのか、
ソマリア人の青年たちに
きいてみたところ、
この一節とそっくり同じ答えが
返ってきたのには
おどろきました。
また、青年の一人には、
女のきょうだいがいるそうですが、
ソマリアでは、女性が家事をし、
男性は外で働くというのが当たり前で、
とくに疑問には思わないそうです。
これに対し、
スウェーデン人の進行役の方が、
「でも、今はスウェーデンに
住んでいるのだから、
あなただって、
自分で家事をしないわけに
いかないんじゃない?」
と質問したところ、
今は自分でしているとのことでした。
男性の自分にも家事はできるけれど、
ソマリアではやらない。
そういうきまりだからだそうです。
シリア出身の男性からは、
「医学的に見て、女性と男性とでは、
もともと得意なことがちがうのではないか」
という意見が出ました。
女性は一度にいろんなことをするのが得意で、
たとえば、電話で話しながら
料理を作ったりできるけれど、
男性の自分にはとてもできない。
そのかわり、
男性は一つのことに秀でている場合が
多いのではないか。
すると、
これまたスウェーデン人の
司会役の女性が猛反発。
また、別の図書館のカフェでは、
イラン出身の女性と、
ソマリアの隣国出身の女性と
いっしょのテーブルになったので、
同じくたずねてみると、
男性と一緒に泳いではいけないというのは、
やはり、そういうものだからで、
疑問には思わないそうです。
それが現地では当たり前で、
男性と一緒に泳ぐなんてありえない、
と笑っていました。
現地では当たり前のきまりで
規制があることも、
スウェーデンにきたら
規制がないのでできるのでは、
ときいてみたところ、
たとえば、ショールをつけないでいるとか、
水着を着て泳ぐとか、
自転車に乗るとか、
スウェーデンではやろうと思えば
できるかもしれないけれど、
肌を見せるのははずかしいから、
とてもできない、といっていました。
今回、言語カフェに参加して、
文化や慣習のちがいにより、
考え方もさまざまだというのが
とてもおもしろく、新鮮でした。
言語の習得はもちろんですが、
あたらしい出会いや
思いがけない発見が
たくさんあるというのも、
言語カフェの大きな魅力の
ひとつではないでしょうか。
最後に、
その魅力を存分に描いた、
こんな物語をご紹介します。
"Mitt rätta namn"
(「わたしのほんとうの名前」
Åsa Storck 作 Vilja社)

図書館の言語カフェで出会った、
シリというおばあさんとヤッレという少年。
二人の視点が交互に描かれていきます。
シリは、言語カフェの常連です。
第二次世界大戦中、
まだ子どもだったシリは、
一人ぼっちで
フィンランドからスウェーデンへと
戦火を逃れてきました。
それ以来、今までずっと
スウェーデンで暮らしています。
一方のヤッレは、
家族とはなれて、たった一人、
イラクからスウェーデンに
逃れてきたばかりの少年です。
支援員の人に連れられて、
この言語カフェにやってきました。
案内されたテーブルにすわっていたのが
シリでした。
とまどっているヤッレにおかまいなく、
支援員の人は、
シリにヤッレを紹介します。
でも、ヤッレという名前は、
実は本名ではなく、
支援員の人がよびやすいようにつけた
あだ名でした。
「ぼくのほんとうの名前は、
ヤーマルです」
まだスウェーデン語のできない少年は、
身ぶり手ぶりで
必死に伝えようとします。
その熱意に心を動かされたシリも、
これまで隠していた自分のほんとうの名前を
少年にうち明けます。
シルパというのが、
シリのほんとうの名前でした。
フィンランド人の名前ではまずいからと、
スウェーデン風の名前に
変えていたのです。
シルパとヤーマル。
共に何も持たずに逃れてきた
ふたりにとっては、
名前だけが、ただ一つ、
ずっと持ち合わせてきた
ものだったのです。
ふたりはしだいにうち解け、
心を通わせていく。
そんな物語です。
言語カフェは、
なくしかけていた
誇りや自信を取りもどす
きっかけとなる場とも
なりうるかもしれません。
次回の更新は、7月の予定です。
(本の表紙の写真は、作者の許可を得て掲載しています。)
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- 2017-01-28 :
- 読み物(小学校高学年~)
スウェーデンのしあわせ絵本館 食の巻その3
食べられるということ自体が、
しあわせに感じられる
場合もあります。
“Hoppas”
(「希望」
Åsa Anderberg Strollo 作・
Gilla böcker (Lilla piratförlaget) 社)

家庭に居場所がなく、
家をとびだした少女ヨンナが、
都会で路上生活をはじめる物語。
町をさまよい、
仕事も住む場所もなく、
バスの車内やゴミすて場で
夜を明かすうち、
ヨンナは、同じように行き場を失った
少女たちと出会い、
友情を深めていきます。
大都会のはなやかさとは対照的に、
生きていくために、
万引きや売春をする少女など、
苦しい境遇の中で必死に生きる
子どもたちの姿が描き出されます。
ヨンナが仲良くなった
少女たちのうちの一人エリーナは、
ゴミのコンポストの中で暮らし、
コンビニで売れ残った
シナモンロールをひろって食べて、
命をつないでいました。
スウェーデンのおやつの定番で、
コンビニでもかならず売られている
シナモンロールですが、
つねに焼き立てを提供しているため、
冷めたら捨てられてしまうのです。
エリーナは、
そんなシナモンロールを食べ、
公園のトイレの水を飲んで
暮らしています。
エリーナとヨンナは、
ゴミのコンポストの中で、
捨てられたシナモンロールを食べながら、
お互いの境遇を語り合います。
町には、ヨンナたちのように
行き場のない子どもたちのための
サポートを行っている施設があり、
ヨンナたちは、ときどきそこへ行って、
支援員の人たちと
食事をしたり、雑談をしたりして、
つかの間、心の休息を得ます。
以前、日本のこんなドキュメンタリー番組を
見たことがあります。
行き場を失った子どもたちに
食事を提供したり、相談に乗ったりして、
彼らのよりどころとなっている
女性について紹介したものでした。
子どもたちには、安心して、
しっかりごはんを食べられる
環境が大切だ、
という女性の言葉が印象的でした。
食卓を囲んではぐくまれる、
支援員の人たちとの交流や、
同じような悩みをかかえた
仲間との友情。
この物語のタイトルのHoppasは、
「希望を持つ」という意味です。
絶望のふちにあっても、
かならず希望はある、
というメッセージが
こめられているようです。
どんなにかすかな希望でも、
光を見出したとき、
人はしあわせに感じるのでは
ないでしょうか。
そうしてつかんだしあわせは、
きっと大きな力になるように思います。
食にまつわるしあわせ、
いかがでしたでしょうか。
次回は、別の観点から
「しあわせ」を
探してみたいと思います。
(本の表紙の写真は、出版社の許可を得て掲載しています。)
しあわせに感じられる
場合もあります。
“Hoppas”
(「希望」
Åsa Anderberg Strollo 作・
Gilla böcker (Lilla piratförlaget) 社)

家庭に居場所がなく、
家をとびだした少女ヨンナが、
都会で路上生活をはじめる物語。
町をさまよい、
仕事も住む場所もなく、
バスの車内やゴミすて場で
夜を明かすうち、
ヨンナは、同じように行き場を失った
少女たちと出会い、
友情を深めていきます。
大都会のはなやかさとは対照的に、
生きていくために、
万引きや売春をする少女など、
苦しい境遇の中で必死に生きる
子どもたちの姿が描き出されます。
ヨンナが仲良くなった
少女たちのうちの一人エリーナは、
ゴミのコンポストの中で暮らし、
コンビニで売れ残った
シナモンロールをひろって食べて、
命をつないでいました。
スウェーデンのおやつの定番で、
コンビニでもかならず売られている
シナモンロールですが、
つねに焼き立てを提供しているため、
冷めたら捨てられてしまうのです。
エリーナは、
そんなシナモンロールを食べ、
公園のトイレの水を飲んで
暮らしています。
エリーナとヨンナは、
ゴミのコンポストの中で、
捨てられたシナモンロールを食べながら、
お互いの境遇を語り合います。
町には、ヨンナたちのように
行き場のない子どもたちのための
サポートを行っている施設があり、
ヨンナたちは、ときどきそこへ行って、
支援員の人たちと
食事をしたり、雑談をしたりして、
つかの間、心の休息を得ます。
以前、日本のこんなドキュメンタリー番組を
見たことがあります。
行き場を失った子どもたちに
食事を提供したり、相談に乗ったりして、
彼らのよりどころとなっている
女性について紹介したものでした。
子どもたちには、安心して、
しっかりごはんを食べられる
環境が大切だ、
という女性の言葉が印象的でした。
食卓を囲んではぐくまれる、
支援員の人たちとの交流や、
同じような悩みをかかえた
仲間との友情。
この物語のタイトルのHoppasは、
「希望を持つ」という意味です。
絶望のふちにあっても、
かならず希望はある、
というメッセージが
こめられているようです。
どんなにかすかな希望でも、
光を見出したとき、
人はしあわせに感じるのでは
ないでしょうか。
そうしてつかんだしあわせは、
きっと大きな力になるように思います。
食にまつわるしあわせ、
いかがでしたでしょうか。
次回は、別の観点から
「しあわせ」を
探してみたいと思います。
(本の表紙の写真は、出版社の許可を得て掲載しています。)
- 2016-09-28 :
- 読み物(小学校高学年~)
姿を消した少女たち
新学期がはじまって、
早一か月がたちました。
スウェーデンの学校も、
6月のはじめからはじまった
長い夏休みが終わり、
8月の半ばから
新学期がスタートしています。
新たな気持ちでむかえる
新学期ですが、
夏休みが終わっても
学校にもどってこない
少女たちが増えていることが、
スウェーデンではここ数年、
問題になってきています。
その原因を、
こんな物語をもとに
考えてみたいと思います。
“Fallen flikca”
(「落とされた少女」
Christina Wahldén 作
Raben & sjögren社)

主人公の少女ローナは、
一家でアフガニスタンから
スウェーデンへ逃れてきた
16歳の少女です。
父、母、兄、幼い妹たちのいる
大家族の長女で、
家事や妹たちの世話は
すべてローナの役目です。
ローナは、父と兄の厳しい管理下におかれ、
少しでも逆らおうものなら、
殴りつけられます。
学校から帰る時間も厳しく決められ、
1分でも遅れてはいけません。
遅れれば、父にベルトで殴られます。
あまりの痛さに悲鳴をあげると、
父は、ラジオの音量を上げ、
悲鳴が聞こえないようにします。
そのため、近所の人はだれも
虐待に気がつきません。
ローナは学校が大好きですが、
父親は、女性に学問は不要、と
進学をあきらめさせようとします。
そんなある日、ローナは、
授業で人権について学びました。
だれにでも教育を受ける権利があり、
結婚相手を自由に選べ、
仕事の休暇を取る権利があると知り、
ローナはしだいに、
自分が奴隷のように扱われていることに
反発を感じるようになっていきます。
勉強を続けたり、自由に出かけたりしたい。
ローナは、一人で外出することも許されず、
つねに兄が見張り役としてついてくるなど、
いつでも監視下にありました。
一方の兄は、スウェーデン人の彼女と、
いつもほっつき歩いています。
このスウェーデン人の彼女は、
整形手術の費用を自分の父親にせびるなど、
かなり奔放で、
同じスウェーデンに暮らす女の子でも、
ずいぶん異なっている様子が分かります。
あるとき、ローナは父親から、
親戚の男性と結婚するよう
命じられたのを機に、
とうとう不満を爆発させます。
父親から、激しい暴力を受けたローナは、
先生に助けをもとめますが、
最後は、父と兄によって、
ベランダから突き落とされて、
死んでしまうのです。
作者のChristina Wahldénさんは、
このような、女性や少女たちの不当な立場
とりわけ名誉殺人について取り上げた作品を
数多く書いています。
名誉殺人とは、
一族の中で、名誉を汚したとされる者に対し、
一族内で行われる殺害のことです。
被害者になるのは、主に女性で、
一族に認められていない男性と口をきいたり
付き合ったりした場合や、
一族が命じた男性との結婚を拒んだ場合、
離婚を申し出た場合
などさまざまです。
女性蔑視や男性優位の考え方が浸透している
国から移り住んできた人々にとって、
今までの考え方を180度変えて、
男女平等の先進国スウェーデンの
考え方を受け入れるのは、至難の業です。
そのため、スウェーデンでも、
たびたび名誉殺人が起こり、
問題になっています。
名誉殺人が正当化されている国々では、
名誉殺人は罪に当たりませんが、
スウェーデンでは、もちろん、
ふつうの殺人罪と同じように裁かれます。
ただ、こうした殺害は、
はっきりとした証拠が残らないことが多く、
自殺とみなされ、
不起訴にされてしまう場合も多いそうです。
新学期がはじまっても
もどってこない少女たちの中には、
実は、そうした危険のある子が
少なくありません。
しかし、そのような少女たちの
追跡調査を行っている学校は、
ひじょうに少ないのが現状のようです。
少女たちを保護するための
シェルターもつくられており、
政略結婚を逃れるため、
名前を変えて
シェルターで暮らしている子もいます。
それでも、まだまだ支援は不十分で、
学校、ソーシャルワーカー、
警察、大使館などが
国際的に連携して動くことも
重要になっています。
なにより、まずは、
そのような抑圧された少女たちの現状を
より多くの人に知ってもらい、
考える機会を持ってもらうということが、
大切なのではないでしょうか。
その意味で、
この作品の意義は大きいといえます。
次回の更新は、10月末の予定です。
(表紙の写真は、出版社の許可を得て掲載しています。)
早一か月がたちました。
スウェーデンの学校も、
6月のはじめからはじまった
長い夏休みが終わり、
8月の半ばから
新学期がスタートしています。
新たな気持ちでむかえる
新学期ですが、
夏休みが終わっても
学校にもどってこない
少女たちが増えていることが、
スウェーデンではここ数年、
問題になってきています。
その原因を、
こんな物語をもとに
考えてみたいと思います。
“Fallen flikca”
(「落とされた少女」
Christina Wahldén 作
Raben & sjögren社)

主人公の少女ローナは、
一家でアフガニスタンから
スウェーデンへ逃れてきた
16歳の少女です。
父、母、兄、幼い妹たちのいる
大家族の長女で、
家事や妹たちの世話は
すべてローナの役目です。
ローナは、父と兄の厳しい管理下におかれ、
少しでも逆らおうものなら、
殴りつけられます。
学校から帰る時間も厳しく決められ、
1分でも遅れてはいけません。
遅れれば、父にベルトで殴られます。
あまりの痛さに悲鳴をあげると、
父は、ラジオの音量を上げ、
悲鳴が聞こえないようにします。
そのため、近所の人はだれも
虐待に気がつきません。
ローナは学校が大好きですが、
父親は、女性に学問は不要、と
進学をあきらめさせようとします。
そんなある日、ローナは、
授業で人権について学びました。
だれにでも教育を受ける権利があり、
結婚相手を自由に選べ、
仕事の休暇を取る権利があると知り、
ローナはしだいに、
自分が奴隷のように扱われていることに
反発を感じるようになっていきます。
勉強を続けたり、自由に出かけたりしたい。
ローナは、一人で外出することも許されず、
つねに兄が見張り役としてついてくるなど、
いつでも監視下にありました。
一方の兄は、スウェーデン人の彼女と、
いつもほっつき歩いています。
このスウェーデン人の彼女は、
整形手術の費用を自分の父親にせびるなど、
かなり奔放で、
同じスウェーデンに暮らす女の子でも、
ずいぶん異なっている様子が分かります。
あるとき、ローナは父親から、
親戚の男性と結婚するよう
命じられたのを機に、
とうとう不満を爆発させます。
父親から、激しい暴力を受けたローナは、
先生に助けをもとめますが、
最後は、父と兄によって、
ベランダから突き落とされて、
死んでしまうのです。
作者のChristina Wahldénさんは、
このような、女性や少女たちの不当な立場
とりわけ名誉殺人について取り上げた作品を
数多く書いています。
名誉殺人とは、
一族の中で、名誉を汚したとされる者に対し、
一族内で行われる殺害のことです。
被害者になるのは、主に女性で、
一族に認められていない男性と口をきいたり
付き合ったりした場合や、
一族が命じた男性との結婚を拒んだ場合、
離婚を申し出た場合
などさまざまです。
女性蔑視や男性優位の考え方が浸透している
国から移り住んできた人々にとって、
今までの考え方を180度変えて、
男女平等の先進国スウェーデンの
考え方を受け入れるのは、至難の業です。
そのため、スウェーデンでも、
たびたび名誉殺人が起こり、
問題になっています。
名誉殺人が正当化されている国々では、
名誉殺人は罪に当たりませんが、
スウェーデンでは、もちろん、
ふつうの殺人罪と同じように裁かれます。
ただ、こうした殺害は、
はっきりとした証拠が残らないことが多く、
自殺とみなされ、
不起訴にされてしまう場合も多いそうです。
新学期がはじまっても
もどってこない少女たちの中には、
実は、そうした危険のある子が
少なくありません。
しかし、そのような少女たちの
追跡調査を行っている学校は、
ひじょうに少ないのが現状のようです。
少女たちを保護するための
シェルターもつくられており、
政略結婚を逃れるため、
名前を変えて
シェルターで暮らしている子もいます。
それでも、まだまだ支援は不十分で、
学校、ソーシャルワーカー、
警察、大使館などが
国際的に連携して動くことも
重要になっています。
なにより、まずは、
そのような抑圧された少女たちの現状を
より多くの人に知ってもらい、
考える機会を持ってもらうということが、
大切なのではないでしょうか。
その意味で、
この作品の意義は大きいといえます。
次回の更新は、10月末の予定です。
(表紙の写真は、出版社の許可を得て掲載しています。)
- 2016-06-30 :
- 読み物(小学校高学年~)
お知らせ
2016年2月のお知らせにて
ご紹介しました、
『ラミッツの旅
ロマの難民少年のものがたり』が
今年の夏休みの本(緑陰図書)に
選ばれました。
全国学校図書館協議会
第49回夏休みの本(緑陰図書)
http://www.j-sla.or.jp/recommend/natsuyasumi-49.html
ご興味のある方は、
ぜひご覧ください。
ご紹介しました、
『ラミッツの旅
ロマの難民少年のものがたり』が
今年の夏休みの本(緑陰図書)に
選ばれました。
全国学校図書館協議会
第49回夏休みの本(緑陰図書)
http://www.j-sla.or.jp/recommend/natsuyasumi-49.html
ご興味のある方は、
ぜひご覧ください。
- 2016-04-28 :
- 読み物(小学校高学年~)
わたしはだれでしょう?
3月に
ベルギーで起きたテロ事件。
犯人のひとりは、
スウェーデンで生まれ育った男でした。
アラブ系のいわゆる移民2世です。
スウェーデン社会は、
衝撃の事実に
今、ゆれています。
男を犯罪に走らせたのは、
いったい何だったのでしょう。
今回は、
こんな物語をとおして
考えてみたいと思います。
"Avblattefieringsprocessen"
(「移民同化政策」
Zulmir Becevic 作・Alfabeta社)

主人公のアレンは、
ボスニアから難民として
スウェーデンに逃れてきた父と、
スウェーデン人の母とを
両親に持つ少年です。
スウェーデンで生まれ育ったアレンは、
見た目は黒髪のスラブ系ですが、
父の故郷のボスニアには
行ったこともなく、
自分はれっきとした
スウェーデン人だと思っています。
そんな中、まわりでは、
移民に対する圧力が
ひじょうに高まっていきます。
アレンの母はすでに亡くなり、
父は、移民という理由から
会社をクビになった上、
刑務所に送られてしまいました。
やがてアレンは、
Avblattefieringsprocessenという、
スウェーデンで生まれた移民2世
すなわち、もはや
国外退去させられない人々を
対象にした、
移民同化政策に
取り込まれていきます。
移民たちを
スウェーデン人化するという、
この政策により、
アレンは、
きれい好きなスウェーデン人の
アイデンティティを習得するため、
スウェーデン人の老人の家で、
そうじや草取りをさせられるはめに。
また、銀行での順番待ちの仕方や、
知らない人の家に勝手に上がって
フィーカ(お茶)を
ねだってはいけないことなど、
礼儀正しいスウェーデン人の
常識について学ばされます。
さらに、
スウェーデングッズのつまった
カバンをわたされ、
スウェーデン人らしさを
習得するようにといわれます。
しかし、
自分には何がたりないのか、
スウェーデン人らしさとは
いったい何なのか、
アレンにはさっぱり分かりません。
やがて、
政策はエスカレートしていき、
アレンは、移民2世たちを
集めて隔離した町へと
連れていかれます。
そこで、他の移民たちとともに、
スウェーデン人らしさを
身に着けるための
共同生活を
強いられるようになりました。
アレンがどうにか町から逃げ出し、
国外へと亡命していくところで、
物語はおわります。
自分の中にある、
スウェーデン人としての
アイデンティティが
まわりから否定され、
異質なものとして
扱われることに対し、
アレンはそこから逃れようと
するだけにとどまりましたが、
その疎外感が恨みや憎しみへと
変わってしまったとき、
ベルギーのテロのような悲劇が
起こることに
つながりかねないのでは
ないでしょうか。
性別や既成の概念にとらわれず、
男女平等や
子どもの権利をうったえてきた
スウェーデンですが、
民族や文化の
バックグラウンドのちがいも
のりこえて
個人の平等を
尊重していけるかどうかが
問われている気がします。
次回の更新は、5月下旬の予定です。
(本の表紙の写真は、出版社の許可を得て掲載しています。)
ベルギーで起きたテロ事件。
犯人のひとりは、
スウェーデンで生まれ育った男でした。
アラブ系のいわゆる移民2世です。
スウェーデン社会は、
衝撃の事実に
今、ゆれています。
男を犯罪に走らせたのは、
いったい何だったのでしょう。
今回は、
こんな物語をとおして
考えてみたいと思います。
"Avblattefieringsprocessen"
(「移民同化政策」
Zulmir Becevic 作・Alfabeta社)

主人公のアレンは、
ボスニアから難民として
スウェーデンに逃れてきた父と、
スウェーデン人の母とを
両親に持つ少年です。
スウェーデンで生まれ育ったアレンは、
見た目は黒髪のスラブ系ですが、
父の故郷のボスニアには
行ったこともなく、
自分はれっきとした
スウェーデン人だと思っています。
そんな中、まわりでは、
移民に対する圧力が
ひじょうに高まっていきます。
アレンの母はすでに亡くなり、
父は、移民という理由から
会社をクビになった上、
刑務所に送られてしまいました。
やがてアレンは、
Avblattefieringsprocessenという、
スウェーデンで生まれた移民2世
すなわち、もはや
国外退去させられない人々を
対象にした、
移民同化政策に
取り込まれていきます。
移民たちを
スウェーデン人化するという、
この政策により、
アレンは、
きれい好きなスウェーデン人の
アイデンティティを習得するため、
スウェーデン人の老人の家で、
そうじや草取りをさせられるはめに。
また、銀行での順番待ちの仕方や、
知らない人の家に勝手に上がって
フィーカ(お茶)を
ねだってはいけないことなど、
礼儀正しいスウェーデン人の
常識について学ばされます。
さらに、
スウェーデングッズのつまった
カバンをわたされ、
スウェーデン人らしさを
習得するようにといわれます。
しかし、
自分には何がたりないのか、
スウェーデン人らしさとは
いったい何なのか、
アレンにはさっぱり分かりません。
やがて、
政策はエスカレートしていき、
アレンは、移民2世たちを
集めて隔離した町へと
連れていかれます。
そこで、他の移民たちとともに、
スウェーデン人らしさを
身に着けるための
共同生活を
強いられるようになりました。
アレンがどうにか町から逃げ出し、
国外へと亡命していくところで、
物語はおわります。
自分の中にある、
スウェーデン人としての
アイデンティティが
まわりから否定され、
異質なものとして
扱われることに対し、
アレンはそこから逃れようと
するだけにとどまりましたが、
その疎外感が恨みや憎しみへと
変わってしまったとき、
ベルギーのテロのような悲劇が
起こることに
つながりかねないのでは
ないでしょうか。
性別や既成の概念にとらわれず、
男女平等や
子どもの権利をうったえてきた
スウェーデンですが、
民族や文化の
バックグラウンドのちがいも
のりこえて
個人の平等を
尊重していけるかどうかが
問われている気がします。
次回の更新は、5月下旬の予定です。
(本の表紙の写真は、出版社の許可を得て掲載しています。)