- 2015-09-30 :
- 読み物(小学校中学年)
移民の姿を伝える(1)
今回より
数回にわたって、
移民の人たちがおはなしの中で
どのように描かれているのか、
探ってみたいと思います。
まず、ご紹介するのは、
“Baddräkten”
(「水着」
Åsa Storck 作・Gitte Spee 絵
初版 Natur och Kultur社/
再販 En bok för alla社)
小学生の女の子ファドマは、
家族とともに、ソマリアから
スウェーデンに移り住んできました。
学校のプールの授業は、
ファドマはいつでも見学です。

両親に、
男の子といっしょに
泳いではいけないと
いわれているからです。
ソマリアでは、
男の子と女の子が
いっしょに泳いでは
いけないきまりなのです。
その日のプールの授業も見学。
いたたまれなくなったファドマが
一人更衣室に行くと、
床に水着が落ちていました。
ファドマは、こっそり
水着を着てしまいます。

かがみにうつった水着姿の自分に
見とれていると、
先生に見つかってしまいました。
あわてるファドマに
先生はほほえんで、
一枚の紙を手わたします。
それは、
女の子だけの水泳教室の案内でした。
家に帰ったファドマが
おそるおそる相談すると……
女の子だけならいいだろうと
お父さんのお許しが出て、
お母さんといっしょに
水泳教室に
通えることになりました。

はじめてプールに入ったファドマ。
とてもうれしそうです。
水泳教室には、
友だちのソマリア人の女の子も
来ていました。
両親にないしょで
こっそり通っていたのです。
水泳教室からの帰り道、
お母さんはファドマに
いつか自転車に乗ってみたいという夢を
そっとうちあけます。
ファドマは心の中に
その夢を深くきざみこむのでした。
女性に対する抑圧が
依然として残っている現状が
伝わってきます。
一方、作品には、
お父さんのこんな言葉も
出てきます。
「スウェーデン人と
そっくり同じになるわけではないけれど、
できるだけ受け入れるようにしなさい」
自分たちの文化を重んじながらも、
新しい文化にとけ込もうとし、
文化の違いのはざまで
もがき苦しむ
移民たちのつらさも
同時に伝わってきます。
作者はスウェーデン人ですが、
そのことが
スウェーデンでも話題になりました。
ファドマと同じように
ソマリア人によって書かれていたら、
もう少し異なった面も描けたのでは、
という意見です。
ソマリア人の女の子だって、
きっと他の子たちと同じように、
日常の楽しみがあって、
そうした部分も
きちんと描かれなければ、
文化に対する
偏った見方しかできず、
誤解をまねきかねない、
というのです。
確かに一理ある意見だと思います。
私の通っていたスウェーデンの学校にも、
ソマリア出身の女の子がいて、
いつもショールをかぶっていましたが、
彼女は、ショールの色や柄を変えて、
おしゃれの一つとして楽しんでいました。
ソマリアの女性たちにとって、
ショールは
かぶらなくてはならない否定的なものだ、
と思い込んでいた私に、
新しい見方を教えてくれた出来事でした。
限られた情報しかないと、
限られた見方しかできず、
それがすべてだと思い込みがちです。
より多くの情報があれば、
いろいろな見方ができ、
理解ももっと深まるでしょう。
しかし一方で、
実際にファドマのような
状況にある女性たちが、
自らの現状を
声に出して述べようとするのは、
かなりのリスクと
勇気をともなうことでもあるに
ちがいありません。
その意味で、
あえてスウェーデン人の作家が
彼女たちの姿を描いて伝えることは
重要だと思います。
ただし、
現状の一面だけでなく、
さまざまな面も
正しく伝えていくことが
必要といえそうです。
次回は、
移民の子と友だちになった、
スウェーデン人の女の子のおはなしを
ご紹介します。
移民の人たちの姿は、
スウェーデンの人たちの目に
どんなふうに映っているのでしょう?
次回の更新は、10月下旬の予定です。
(絵本の写真は、出版社の許可を得て掲載しています。)
数回にわたって、
移民の人たちがおはなしの中で
どのように描かれているのか、
探ってみたいと思います。
まず、ご紹介するのは、
“Baddräkten”
(「水着」
Åsa Storck 作・Gitte Spee 絵
初版 Natur och Kultur社/
再販 En bok för alla社)
小学生の女の子ファドマは、
家族とともに、ソマリアから
スウェーデンに移り住んできました。
学校のプールの授業は、
ファドマはいつでも見学です。

両親に、
男の子といっしょに
泳いではいけないと
いわれているからです。
ソマリアでは、
男の子と女の子が
いっしょに泳いでは
いけないきまりなのです。
その日のプールの授業も見学。
いたたまれなくなったファドマが
一人更衣室に行くと、
床に水着が落ちていました。
ファドマは、こっそり
水着を着てしまいます。

かがみにうつった水着姿の自分に
見とれていると、
先生に見つかってしまいました。
あわてるファドマに
先生はほほえんで、
一枚の紙を手わたします。
それは、
女の子だけの水泳教室の案内でした。
家に帰ったファドマが
おそるおそる相談すると……
女の子だけならいいだろうと
お父さんのお許しが出て、
お母さんといっしょに
水泳教室に
通えることになりました。

はじめてプールに入ったファドマ。
とてもうれしそうです。
水泳教室には、
友だちのソマリア人の女の子も
来ていました。
両親にないしょで
こっそり通っていたのです。
水泳教室からの帰り道、
お母さんはファドマに
いつか自転車に乗ってみたいという夢を
そっとうちあけます。
ファドマは心の中に
その夢を深くきざみこむのでした。
女性に対する抑圧が
依然として残っている現状が
伝わってきます。
一方、作品には、
お父さんのこんな言葉も
出てきます。
「スウェーデン人と
そっくり同じになるわけではないけれど、
できるだけ受け入れるようにしなさい」
自分たちの文化を重んじながらも、
新しい文化にとけ込もうとし、
文化の違いのはざまで
もがき苦しむ
移民たちのつらさも
同時に伝わってきます。
作者はスウェーデン人ですが、
そのことが
スウェーデンでも話題になりました。
ファドマと同じように
ソマリア人によって書かれていたら、
もう少し異なった面も描けたのでは、
という意見です。
ソマリア人の女の子だって、
きっと他の子たちと同じように、
日常の楽しみがあって、
そうした部分も
きちんと描かれなければ、
文化に対する
偏った見方しかできず、
誤解をまねきかねない、
というのです。
確かに一理ある意見だと思います。
私の通っていたスウェーデンの学校にも、
ソマリア出身の女の子がいて、
いつもショールをかぶっていましたが、
彼女は、ショールの色や柄を変えて、
おしゃれの一つとして楽しんでいました。
ソマリアの女性たちにとって、
ショールは
かぶらなくてはならない否定的なものだ、
と思い込んでいた私に、
新しい見方を教えてくれた出来事でした。
限られた情報しかないと、
限られた見方しかできず、
それがすべてだと思い込みがちです。
より多くの情報があれば、
いろいろな見方ができ、
理解ももっと深まるでしょう。
しかし一方で、
実際にファドマのような
状況にある女性たちが、
自らの現状を
声に出して述べようとするのは、
かなりのリスクと
勇気をともなうことでもあるに
ちがいありません。
その意味で、
あえてスウェーデン人の作家が
彼女たちの姿を描いて伝えることは
重要だと思います。
ただし、
現状の一面だけでなく、
さまざまな面も
正しく伝えていくことが
必要といえそうです。
次回は、
移民の子と友だちになった、
スウェーデン人の女の子のおはなしを
ご紹介します。
移民の人たちの姿は、
スウェーデンの人たちの目に
どんなふうに映っているのでしょう?
次回の更新は、10月下旬の予定です。
(絵本の写真は、出版社の許可を得て掲載しています。)
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