- 2015-11-25 :
- 読み物(小学校高学年~)
移民の姿を伝える(3)
前回、前々回と
スウェーデン人作家の目から描かれた、
移民の子どもたちの姿を
ご紹介してきました。
今回は、
移民の子どもみずからが
自身の体験を語ったおはなしを
紹介したいと思います。
"Jag är en pojke med tur"
(「ぼくは幸運な少年だ」
Monica Zak 作 Opal社)
主人公は、実在する少年です。
アフガニスタンから
スウェーデンへと逃れてくるまでの
自らの過酷な体験を
スウェーデン人の作家に語り、
作家がそれを書きとめた、
物語ふうのドキュメンタリー作品です。
最近は、こうした形態の
作品が増えてきています。
自らの体験を伝えたいけれど、
母国語でない言葉で書きしるすことは
移民の人たちにとって、
とても大変です。
そこで、スウェーデン人の作家が
彼らのペンとなり、
彼らとともに作品を発表しています。
"Jag är en pojke med tur"も、
そのようにして生まれた作品の一つです。
アフガニスタンで暮らしていた
5歳のエスマート少年は、
お母さんとお姉さんといっしょに
村から逃げる途中、
二人とはぐれて、
生き別れになってしまいました。
途方に暮れていたエスマートは、
通りかかったトラックに
運よく乗せてもらい、
首都カブールまでやってきます。
しかし、頼るあてもなく、
エスマートは、
同じように親のいない
子どもたちとともに
物乞いをしたり、
廃墟で寝泊まりしたりして、
どうにか生きのびていました。
そんなある日、
エスマートは、
じゅうたん工場の主にひろわれます。
その日から、
工場で働くかわりに
食事と眠る場所は
保障してもらえることになりました。
そうして、ひたすら工場で
じゅうたんを織って過ごすうち、
7年がたちました。
2001年9月11日、
米同時多発テロが起き、
アフガニスタンが
空爆にさらされるようになると、
主は工場を閉めて、
イランに亡命します。
エスマートも、
主とともに亡命しました。
しかし、イランでの暮らしはひどく、
エスマートは、主と別れて
さらにヨーロッパへと亡命していきます。
そして、行き着いたところが
スウェーデンでした。
たった一人、
異国の地におり立ったエスマートは 、
幸運にも、
支援の手をさしのべてくれる人々に恵まれ、
やがて、スウェーデンの学校に
通いはじめます。
こうして、どうにか生きのび、
今、スウェーデンで
暮らすことができているのは、
自分が幸運だったからだと、
常に前向きにとらえながら
エスマート少年は、
自身の波乱に満ちた体験を語り終えます。
エスマートのように、
家族と離れて、
たった一人スウェーデンに逃れてきた
10代の少年たちが、
スウェーデンにはたくさんいます。
彼らに対する支援も
充実しています。
その一例が、
gode man(善き人)
とよばれる人たちです。
gode manとは、
身寄りのない難民の子どもたちの
親代わりのようになって、
スウェーデンで暮らすための
住居や学校などの手配や手続きを行ったり、
移民局での尋問につきそったり、
ときには、
彼らの心の支えになったりもします。
gode manになるための
特別な資格は必要ありません。
私がスウェーデンで通っていた
学校の先生の中にも
gode manをしている方がいました。
gode man一人につき、
たいてい5~10人の
難民の子どもたちの面倒を見るようです。
エスマート少年も、
つらいときや悲しいとき、
よくgude manのところに
相談に行っていました。
gode manをしている
私の先生の家にも、
子どもたちが
ちょくちょく遊びにきたり、
泊まっていったりするそうです。
エスマート少年のように、
自分のつらい経験を
あえて語ろうという
子どもばかりではなく、
口を閉ざしてしまう子たちも
たくさんいますが、
それでも、何かの折にふと
ぽつりぽつりと
話し出したりすることがあるそうです。
つらい経験を語るということは、
ふたたび、その出来事と
向き合わなければならず、
とても苦しいことですが、
だれかに聞いてもらうことで
心が少し軽くなることもあります。
だから、彼らも
ときに語りたくなるのかもしれません。
そんな彼らの語りは、
戦争の悲惨さや難民たちの苦しさを
なかなか想像できない私たちに、
実際の過酷な現状を伝え、
考える機会を与えてくれる、
とても貴重なものです。
こうした作品が
もっと紹介されていくようになると
よいと思います。
次回も、ひきつづき、
当事者自らが語ったおはなしを
ご紹介したいと思います。
次回の更新は、
12月下旬の予定です。
スウェーデン人作家の目から描かれた、
移民の子どもたちの姿を
ご紹介してきました。
今回は、
移民の子どもみずからが
自身の体験を語ったおはなしを
紹介したいと思います。
"Jag är en pojke med tur"
(「ぼくは幸運な少年だ」
Monica Zak 作 Opal社)
主人公は、実在する少年です。
アフガニスタンから
スウェーデンへと逃れてくるまでの
自らの過酷な体験を
スウェーデン人の作家に語り、
作家がそれを書きとめた、
物語ふうのドキュメンタリー作品です。
最近は、こうした形態の
作品が増えてきています。
自らの体験を伝えたいけれど、
母国語でない言葉で書きしるすことは
移民の人たちにとって、
とても大変です。
そこで、スウェーデン人の作家が
彼らのペンとなり、
彼らとともに作品を発表しています。
"Jag är en pojke med tur"も、
そのようにして生まれた作品の一つです。
アフガニスタンで暮らしていた
5歳のエスマート少年は、
お母さんとお姉さんといっしょに
村から逃げる途中、
二人とはぐれて、
生き別れになってしまいました。
途方に暮れていたエスマートは、
通りかかったトラックに
運よく乗せてもらい、
首都カブールまでやってきます。
しかし、頼るあてもなく、
エスマートは、
同じように親のいない
子どもたちとともに
物乞いをしたり、
廃墟で寝泊まりしたりして、
どうにか生きのびていました。
そんなある日、
エスマートは、
じゅうたん工場の主にひろわれます。
その日から、
工場で働くかわりに
食事と眠る場所は
保障してもらえることになりました。
そうして、ひたすら工場で
じゅうたんを織って過ごすうち、
7年がたちました。
2001年9月11日、
米同時多発テロが起き、
アフガニスタンが
空爆にさらされるようになると、
主は工場を閉めて、
イランに亡命します。
エスマートも、
主とともに亡命しました。
しかし、イランでの暮らしはひどく、
エスマートは、主と別れて
さらにヨーロッパへと亡命していきます。
そして、行き着いたところが
スウェーデンでした。
たった一人、
異国の地におり立ったエスマートは 、
幸運にも、
支援の手をさしのべてくれる人々に恵まれ、
やがて、スウェーデンの学校に
通いはじめます。
こうして、どうにか生きのび、
今、スウェーデンで
暮らすことができているのは、
自分が幸運だったからだと、
常に前向きにとらえながら
エスマート少年は、
自身の波乱に満ちた体験を語り終えます。
エスマートのように、
家族と離れて、
たった一人スウェーデンに逃れてきた
10代の少年たちが、
スウェーデンにはたくさんいます。
彼らに対する支援も
充実しています。
その一例が、
gode man(善き人)
とよばれる人たちです。
gode manとは、
身寄りのない難民の子どもたちの
親代わりのようになって、
スウェーデンで暮らすための
住居や学校などの手配や手続きを行ったり、
移民局での尋問につきそったり、
ときには、
彼らの心の支えになったりもします。
gode manになるための
特別な資格は必要ありません。
私がスウェーデンで通っていた
学校の先生の中にも
gode manをしている方がいました。
gode man一人につき、
たいてい5~10人の
難民の子どもたちの面倒を見るようです。
エスマート少年も、
つらいときや悲しいとき、
よくgude manのところに
相談に行っていました。
gode manをしている
私の先生の家にも、
子どもたちが
ちょくちょく遊びにきたり、
泊まっていったりするそうです。
エスマート少年のように、
自分のつらい経験を
あえて語ろうという
子どもばかりではなく、
口を閉ざしてしまう子たちも
たくさんいますが、
それでも、何かの折にふと
ぽつりぽつりと
話し出したりすることがあるそうです。
つらい経験を語るということは、
ふたたび、その出来事と
向き合わなければならず、
とても苦しいことですが、
だれかに聞いてもらうことで
心が少し軽くなることもあります。
だから、彼らも
ときに語りたくなるのかもしれません。
そんな彼らの語りは、
戦争の悲惨さや難民たちの苦しさを
なかなか想像できない私たちに、
実際の過酷な現状を伝え、
考える機会を与えてくれる、
とても貴重なものです。
こうした作品が
もっと紹介されていくようになると
よいと思います。
次回も、ひきつづき、
当事者自らが語ったおはなしを
ご紹介したいと思います。
次回の更新は、
12月下旬の予定です。
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